空想少年通信

素人物書きのつれづれブログ。

同窓会通知

仕事を終え、帰宅するとポストに往復はがきがあった。差出人は小、中の同級生だ。

進学、就職、その他で何度も住所を変えてはいたが、特に誰にも転居先を知らせてはいなかった。少なくともその必要はなかった。はずだった。

こんな字だっただろうか、と思いながら、手書きの宛先を見る。

誰から住所を教わったんだろう。

もともとは卒業時に幹事を押しつけられていたはずだった。もちろん、同窓会を開く気なんかない。特に会いたいとも思わなかった。両親は転居するたびに「転居先を知らせておかないと」と言ってきたが、その必要は感じなかった。

理由は特にない。特にないというか、思い出したくもない。

だが、裏面にある幹事の名前を見て、誰のことか少しずつ思い出す。記憶に開いた小さな穴から、次々となにかが出てくる。たいていは嫌なことばかりだ。いいことなんかあった覚えがない。当たり前だ。いいことなんかなかった。君たち、僕のことを酷く嫌がっていたじゃないですか。何をいまさら。

名簿を見て機械的に出しただけだろうから、誰がどうとか、思うこともなかったはずだ。よくある話だが、おそらくはこちらのことなんか覚えてもいないだろう。

「卒業後30年たちました。そろそろみんなで一度集まりませんか」

好きにすればいいんじゃないでしょうか。集まりたいのなら。
自分には、少なくとも用はないですし。

必要はないのだが、住所の出所が知りたくて、実家にメールを出す。明らかにイライラしている。

誰か、住所教えた?

答えはすぐに帰ってくる。下の兄弟の友人の兄弟が自分の同級生だった、そこから幹事の連中に連絡が行ったらしい。そりゃしかたない。そりゃ、どうしようもない。

もちろん、下の兄弟に悪気はない。彼は彼で充実した人生を送っているし、古くからの友人を大切にしている。その流れでいけば住所を誰かに教えるのはたぶんさもないことだったのだろう。プライバシーがどうのとか、野暮でどうでもいいことだった。

返事を出したときと出さなかったときのことを考える。明らかに出したときのほうが面倒な気がした。連絡がこれ以上来るとは思わない。思わないが、知られているということがどうも嫌でしかたなかった。

ならば郵便代がもったいなくても、無反応でいたほうが自分は気が楽だと思う。なんなら死んだと思ってくれたほうがまだましだとさえ思う。

しばらくハガキを見ていたが「死んでしまうとはなさけない」とだけ心の中でつぶやいて、雑紙をまとめる箱の中に捨てた。

 

 

という書きかけの文章を見つけたので公開しておく。わりと地元には愛着はなくて、好きか嫌いかと言えば嫌いではないのだけど、もう深く関わり合いになることはないだろうと思う。

冷静に考えて、少しでも会いたいかもなあと思う人はたぶん会には出てこないだろうし、出てきそうな人はおそらく学生時代にも関わりがなかった人だろうし。

根に持つということではなくて、かつて不快に思っていた人間が目の前に出ていって、思い出さなくてもいいことを思い出して不快にさせる必要はない。それだけのことだ。

 

(とここまで書いといてあれだけど、実家に帰るのにもお金もかかるし、体力も使うし、なにより盆に休みなんか取れるか、ってだけという話もある。そうまでして出なきゃいけないようなものでもないし。だったら子どもの学校のPTAの集まりとかのほうが有意義だよ)