空想少年通信

素人物書きのつれづれブログ。

小説

小さい頃から頭の中で「お話」を作ってそこで遊ぶことが好きだった。

自分の中だけで完結するのだから、矛盾していようが立ち行かなくなって元に戻ってやり直そうが設定を途中で変えようがなにをしようが自由で勝手だった。

思春期に当時少女小説と呼ばれた文庫や他愛もない話を手当たり次第読んで、これなら自分でも書けると思った。書いてカタチに出来れば自分も小説家になれると思ったのだ。

もちろんそんなこともなく、書いた話は矛盾だらけでなんの面白みもなく、読み返して自分の書いたものなのに途中でさじを投げる始末だった。才能なんかなかった。作文ですらも満足に書けないのだ。小説家なんかなれるわけがない。

そんな単純なことがわかってからは書くことは日記だけだったし、たまになにかを書いた時は頭からあふれた妄想だけだった。友達を作ったとか、すきになりそうな人のことを書いたとか、あといろいろと。

書いていくうちにそれは少しずつ起承転結の体を成すようになる。どこかを直しても矛盾が生じないようになってくる。矛盾が起きても解消できるようになる。設定なんか細かく決めないほうが自分には性に合うことがわかる。結末が弱くても途中で始まって途中でおわっても自分が書いて読んで楽しければそれでよかった。たった一人自分という読者を満足させることが出来ればそれでよかったのだ。

突然書けなくなってもそれは仕方のないことだったし、読者である自分が自分で書いたものを欲しなくなったのだ。無理に書くこともない。時間がたって、有象無象の文字の羅列にふれた瞬間、自分の中のなにかがはじけた。

少しずつ、少しずつ言葉を連ねることを始めた。

そうして量が増え、なにかしらの形を成し、筋の通った話になり、そうはとても思えなかったはずの「小説」と読んでもいいんじゃないかと自分以外の誰かからいわれるようになった。

自分でもこんなものが書けるんだなぁと思った時にはもう、子どもではなくなっていた。

頭からあふれた妄想も、いないはずの友達を作った話も、すきになりそうな人をつくることもなくなったけれど、その頃の気持ちもなにもわからなくなりそうなくらいに遠い場所に来てしまったけれど、あいかわらず読者自分が喜びそうな話だけを書いている。それが他の誰かにも伝わればいいと思う。ありきたりの話でも。結末が弱くても。つまらないという感想が出てきても。