空想少年通信

素人物書きのつれづれブログ。

とりとめのない話

おはよう世界。

英語でいうところの「I」にあたる一人称が日本語にもあればなあ、と、若い頃(笑)からわりと思っている。

僕、私、俺、ぼく、わたし、おれ、あたし、オレ。
酷い時は一人称は極力使わないルール発動とか。書いててめんどくさいから途中でやめるんだけど。

それかあれか。人称代名詞がなくてもなんとかなるから「I」がないのか。
書いている文章はあんなにも愛にあふれているのに。なんちて。

 

 

とりとめなく、脈絡のない話を。
書く語順と読む語順は違う。

詩でも小説でもそうなんだけども、思っている文章を文字にして表すときに、手癖のまま書いていくと不思議な語順になることがある。たいていはざっと読み返して意味が通ればOKにしてしまうのだが(すんなよ)、1センテンス、1パラグラフを書いたあと、そこの部分を通して読むと「うわなんじゃこりゃ意味わかんねえし!」ってなる。
それだとあとで自分が困るので(自分で読むために書いてんだ、あとの自分が困ったり頭抱えちゃいやだしな)、納得がいくまで直すのだ。その結果、元に戻ったのならしかたない。

あ、でも詩だったらそこまでは考えないかな……

同じ表現が続くと削ったりする。「○○だ。まあ、なんとかだけど。んで、××だ。なんとかだけどさ」みたいな表現に陥りがちなので、これは直す。でも読むの前提ならいいかなって思う。ラップじゃないにしても、語呂が良くリズムに乗れるのなら多少の乱雑な表現は目をつむる。

自分のはそんな程度だ。

でもね。うまい人はそんなこと全然感じないくらいにきれいな表現で、きれいな読み方ができるのだよ。うらやましい。
「こんなに素敵な話があるんだから、俺、小説とか詩とか書かなくたって全然いいんじゃん!」っていうのにぶつかるのがおおくなってきていて、そんなのばっかになったら小さい頃から好きだった妄想空想一人遊びはやめたっていいと思っている。
んで、最近は本当にそのままそのとおりになりそうなので、ちょっとうれしい。
歳をとってきたのかも知れないし、長い長い思春期を抜けて「誰でも詩的なことを書けるんだよ」の魔法が解けてきたのかも知れない。それならそれでいいんだけどさ。

ある日突然ぱっかーんと話が降ってきて、読むほうなんかあとからでいいからとにかく文字に起こす!みたいな日が来るまではそれでいいのかなー。

一気書きノー推敲はそこらへんのバランスをどうとるかを考えつつ書いているのです。じつは。
あと、最近止まっている、save command(以下略)はぱっかーん、がないだけ。だめだな。こっちはあんまり声に出すのを考慮に入れてない。ワールドエンドは逆に声に出さなくても頭の中に声が出てくることを(ほんのちょっとだけ)意識している。いやほんと、ほんとだってば。うまくいっているかどうかは別の話だけどさ。

 


プロットは作ったことがあまりなくて(だから行き当たりばったり)、なんか題材を思いついて、そこに脳内キャラクターを当てはめていく感じで。
ドラマを作るのに、登場人物に俳優さんをあてがうみたいな感じですかね。
そこから、勝手に動き出すまでまた頭でごにょごにょして、その思いついた題材で話が進み出したら文字に起こす、みたいなことをやる。

スターシステムってあるんですけど、それだと名前とか設定ががっちり決まってそうじゃん?
そこまで厳密じゃなくて、なんかもっと緩い感じ。 それこそ学生がサークルでラジオドラマを作るみたいな(もうやり方とか忘れたけど)

当てはまりそうなのがいなかったら、テキトーに合いそうな脳内キャラクターを錬成(じゃねえか)して、使えそうなら他のにも出す、みたいなことをやる。

なので、勉強も運動も苦手そうな人が出てきたらそれはこれは脳内キャラクター一号かな? とか思ってもらっても面白いかも面白くないかも。
ただ、困ったことに女子キャラはどいつもこいつもアスカ(from eva)か夏美(from ケロロ軍曹)みたいなのになるんだよなあ。なんでや。