空想少年通信

「空想少年はテキストデータの夢を見るか?」の人のつれづれブログ。

すべての音楽が鳴りやんだあとに

とりとめなく書くことにする。公式の見解とは関係ない。

もうイベントも終わったから書いてもいいと思うんだけど、某新聞社からイベントに関する取材を受けた。記者さん個人的にも話を聞きたいし、記事にもするけれど、紙面と事件の都合で載らないこともある、という体で。そのへんはわかっていることだし、まあ、載ったらラッキーかなと思って受けた。

同じ話を何度も繰り返して(これは自分の悪い癖)、回りくどい話をして(これも自分の悪い癖)、また顔出るのかなーと思いつつ写真も撮って。

結局、むこうの都合で載らなかったようで(わりと大きい事件も続いたし、まあ、地方のちっさいイベントだし)、とはいえ、イベントガイド欄的なところには載せてもらったので、それだけでもよしとするのだった。あんまりがつがつするの好きじゃないし。

でもなんかそれで縁がなくなるのもちょっと悲しいので、なんかあったら遊びに来てほしいなあ。別にこっちに顔出してほしいとかそんなこと思わないから、ぷらっと来て楽しんでいってほしい。あと、図図しいこと言えたら、次も告知だけでも載せてもらえたらうれしいです。

イベントにおける永遠ということをちょっとだけ考える。末長く続いてほしいけれど、それに個人が介在する必要はないと思っているし、むしろ流動的であってしかるべきだと思っている。文フリだって気がついたら出店者側がだいぶ入れ替わっているし。

言い出した自分が最終的に関わらなくなったとしても(というか、それが最終的な自分の願いだ)、同じ空気がそこに漂っていればそれでいいんじゃないかと思う。

子どものころ、自分の部屋で図書館を開いたら、いろいろな人が来てくれるんじゃないかと思ったことがある。いろいろ物騒だということに気がついて、実現することはなかったけれど(でも手書きでポスター書いたりはした)、やっていることは今とそんなに変わらないんじゃないかという気がする。まあたぶんあの時はいっしょに本を読む友だちがほしかったのだろう。やることがいちいち幼くて笑うしかないのだけれど。

どうしたらイベントで一般の人が来てくれるか、というのはたぶんみんな思っていることで、でも半ば諦めているところはあるんだと思う。

なんで一般参加っていうんだろうなあって思ってて。文フリに参加しはじめたころに一般参加って本当になにも知らない一般の人、という意味だと思っていたらそうじゃなかった、みたいなところがあって、今もそういう意味なんじゃないのかって思ってて、だったらそういう人たちに訴えかけていくしかないんだよなと思うのだった。

会場をあの場所にしたのもそういうことだと思うし。

イベントも、人も、育てていかないといけないよね。

百戦錬磨の出店者の力を借りて。顔の広い、地域のちょっとした有名なひとの力を借りて。食べ物で釣って(笑)、知恵と勇気で乗り切って、イベントがどういうものかを知ってもらって、そしてなんとなく楽しみにしてもらえたらいいと思う。

本当は自分がその場所にいないほうが場が盛り上がる、ということを知っている。だから、中にいるよりは外からそれを眺めているほうが楽しい。子どものころからそうだったらしい。友だちが集団で遊んでいるところを見て、ニコニコしていたと。

今のポジションてわりとそういうところがあって、たぶん自分の参加形態としてはいちばん正しい位置にいるんだろう。

他のイベントなんかに出るときもそうなんだけど、なんつうかだんだん売れる売れないとか考えないようになってきてる。合同誌はそういうわけにいかないからたくさんお知らせしてたくさんの人に読んでもらえるようにするんだけど、自分のだけのはね。

そういうふうな方向性が正しいのかどうかはわからないし、もしかしたら他のイベントに出ることももうやめちゃって、自分が関係しているイベントだけ考えていけばいいのかもしれないし。

それにしても、会場予約、もうちょっと前からできるようにならないかなあ。そうしたらもうちょっとたくさんのところに参加してってアピールできるんじゃないかって思うんだけど。日が決まってないのに、あるので参加してください、日は確認してください、ってちょっと言いづらい。