空想少年通信

素人物書きのつれづれブログ。

【新刊のお知らせ】文芸コンピレーション input selector ISSUE:Mid2024

というわけで第5号(通巻6号)として「文芸コンピレーション input selector ISSUE:Mid2024」が出ます。

今回は「本とおくりもの ヒガクレ荘」の貸本棚を借りている棚主さんと話が盛り上がった結果、本を作ることになりました。フッ軽と言わば言え。

本を作ってみたいけれど、どうやって作ればいいのかわからん、というかたは少なからずいらっしゃるわけで、では場を提供しますね、という感じで始まりました。なので、わりと急がせてしまったかもしれません。

今回の執筆者はこちらの皆さん。敬称略です。

  • カニ
  • 放課後レコード店
  • tekka maki
  • 壬生キヨム
  • 書肆猫に縁側の店番 よしたけ
  • ひとり散歩
  • 立川季里
  • 夜野 篝
  • 区素田零

エッセイ、短歌、詩、小説。

文学フリマ東京38、しずおか一箱古本市、Zineフェス静岡あたりで買うことができます。もちろんヒガクレ荘の言葉の工房棚にも置きます。

文芸コンピレーション input selector ISSUE:Mid2024

B6 本文64ページ 予価500円

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(表紙は若干変更がある場合があります)

展示のはしごをした

出歩きたかった、というのもあって、いくつか用事を組み合わせて出かけてきた。8箇所11のイベントと展示。

展示はどれも小規模で、小さな画廊ばかり。なのでたくさん見ることができたというのもある。

 

  1. 着物ファンフェスタ(都産貿浜松町館)
    着物の民(と勝手に呼んでいるが)による、着物の民のためのイベント。なので女子比率高い。個人的に「おじさん一人が行って良いのか」問題があって、あと、買わずに見るだけかい問題とかちょっと自分の中でまとまらなかったので、本当に2〜3周しただけだった。
    たぶん女性*1なら存分に楽しめるのでは。
  2. アピチャッポン・ウィーラセタクン「Solarium」(SCAI THE BATHHOUSE)
    元が銭湯だった会場であった個展。絵画と映像作品。映像は目玉がやたらフィーチャーされてて、ヘッドフォンで音も聞くことができる(聞かなくても見られる)。
    シンプルだけど、見てて飽きなかったなあ。カード形式のライフログ的なやつ、欲しいなって思った。
  3. アンゼルム・キーファー「Opus Magnum」(ファーガス・マカフリー)
    ガラスケースに入った展示物。遠くからテレビ越しに戦争/戦地を見るような感覚だった。これはぜひ見てほしい。
  4. 永山直樹 「Back」展(ギャラリー58)
    見た日で終了だったんだけど、後ろ姿のストリートスナップ。何もキャプションはないけど、背中で語ってた。喜怒哀楽って背中にも出るんだな。
  5. 梅浦康平「みえかくれするもの」(ギャルリシェーヌ)
    永山氏の展示会場に行く道すがら、すごい圧で外から絵が見えたので見てきた。主線がナイフとか棒で描いたみたいな、力強くてhappyな絵画。これもただただ見てるだけで長くいられそうだった。
  6. 「Monochrome 黒と白の世界」展(ギャルリー志門)
    グループ展。炭化させた植物を額装したものが標本然としてなくて良かった。白と黒だけでここまで表現できるんだなあって。
    終了間際だったので、片付けの準備とかお知り合いが大挙していらしたらしく、ざっと見ただけだけど、落ち着いて見たかった(気づくのが遅すぎた)
  7. ヤノベケンジ「BIG CAT BANG」(GINZA SIX)
  8. 磯崎隼士「自己埋葬行為」(FOAM CONTEMPORARY)
  9. 「 玄, 검정, BLACK」(銀座 蔦屋書店)
  10. 佐野藍「Milky Rain」(銀座 蔦屋書店)
    7〜10ははGINZA SIX。8〜10は蔦屋のフロアでやってた。ヤノベケンジ氏は吹き抜けのインスタレーション。写真で見るより実物の方が100倍良い。磯崎隼士氏は「自分だけで展示ができるわけじゃない」という主旨の手書きの貼り紙がしてあって、感情を抑えてるけど時々噴出してる感じ。 「 玄, 검정, BLACK」は韓国人アーティスト数名のグループ展。なんというか意図的に感情入れてないんだろうなーと感じた。溝、というか、壁、というか。
    佐野藍氏は細かい装飾……というか造形がなされた龍の展示。神としてではなく、「僕の友達」みたいな優しさがわかる。ご本人に話を伺った。そっとなら触ってもいいらしい(手汗すごかったので汚すと良くないから触らなかったけど)。
  11. 「Mid-Century MUJI 展」(ATELIER MUJI GINZA)
    物販も兼ねた展示。Mid-Century の説明の図版が手書きなのがよかったなあ。レトロポップな感じが好きな人はこういうのこだわるよねえ。自分も若かったらこういうの集めたかもしれん。

 

さすがに移動を重ねたので疲れたけど、見る順としてはこれで正解だったかもしれん。あと、これ見たと子に話したら「でたー!」とか「立派なアートウォッチャー」とか言われたけど、君とちゃんと話すための基礎体力がないのでいま必死に再履修してるところなのよ。

*1:か女性着物をそれとして着る男性

【出店のお知らせ】ZINEフェス静岡に出店します

まずはこのリンクからどうぞ。

ブックマンション(シェア型本屋)とか吉祥寺ZINEフェスティバルとかをやってらっしゃるBOOK CULTURE CLUBさんの主催される、「ZINEフェス静岡」というのが6/22に開催されます。場所は静岡PARCO前の紺屋町名店街の並び。屋外ですが、その辺は一箱古本市で慣れてる感じですね。

で、それに出展しようと思って、申込みをしました。

りぶらりおさんにZINE舎YELLへの出展物を引き上げに行ったときに教えていただきました。

こういう情報ってどうやったら上手くキャッチできるのかなあといつも思う。そしてどうやったら広く世間に伝えられるのかなあと思います。自分でもイベントやってると特にね。

ZINEといっても雑誌様のものとは限らないはずなので、いつもやってることを粛々とやる感じでしょうか。ここんとこZINEぽいもの立て続けに作ってるけど。

とはいえ、Zinesterさん*1が静岡に集まることもまだまだ少ないだろうから、こういう機会が増えていくのはいいことです。

というわけで、どんなことをするかはまだ決めかねていますが、余力があればなんか作るかも*2

詳細がわかり次第、こちらに追記していきますね。

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*1:これもりぶらりおさんに教わった。Zineに関わる人のことらしい

*2:文フリの後だし、作ってもどこで売るんだよ問題が発生する

コメントカード(と今後の予定)

いろいろあってようやくZINE舎YELL(ジンジャエール!)の残を引き取ってきました。立ち読みしていただいた皆様、お買い上げいただいた皆様ありがとうございました。正直なところ0ということもあるだろう、と思っておりましたので、予想外に手に取っていただけたようで嬉しいです。

さて。

このイベント、ZINEの作者さんにコメントを送ろうという企画……というかなんて言うんだろう……システム?がありまして、会場の一角にまるで賽銭箱のようなコメント投稿ボックスがあったんですね。それに書いたコメントカードを入れておくと、返却の際に作者さんに届くことになってました。

で、なんと言葉の工房宛にもコメントカードをいただきました! ありがとうございます。こういうのふだんほんとに縁がないのでめちゃくちゃ嬉しかったです。

また創作や制作に精進いたしますので、今後ともよろしくお願いいたします!

次回の予定は、直近では5/19開催の文学フリマ東京38。東京流通センターでの最終回、18歳以上1000円の入場料がかかります(16:30以降入場は無料だそうです。詳細は下記リンクで)

続いて5/25しずおか一箱古本市となっております。

こちらもよろしくお願いいたします。

 

春はお別れの季節です

みんな旅立っていくんです、と歌ったのは決して歌の上手くはなかった素人集団みたいな昭和のアイドルでしたな。

独立して近くに住んでいた子が、少々離れたところに越して行った。ライフスタイルの変化だそうだ。本人達がそれでいいならいいんじゃないの、と思っているので、願うのは健康的な生活だけ。家人は子が離れていくので当然寂しそうではある。(世間一般で言う、妻が夫に対しては期待する余地など全くないと思っているように)自分じゃ当てにならんもんな。

進学して一人暮らしを始めた子のところに新幹線でかけつけ、食事を作り置きした上で「なくなる頃にまた来なくちゃ」と言っている親がいる、というのをTwitter(現X)で見た*1子離れできてねーなと単純に思ったのだが、果たして当の子はそれを良しとしているのか。監視されてるみたいで気分は良くないんじゃないか。

そんなに子の生活が気になるなら新幹線通学させた方が良かったんじゃないの、と他人事ながら考えてしまうが、まあ、ほんとに他人事だしなあ。

そう遠くないうちにその子の生活が破綻するか何かするんじゃないかという気はする*2。うちは心配は心配だが、立ち入ってはいけない部分は弁えているつもりなのでそのへんは(我慢するということも含め)線を引いているつもり。

予備校の季節講習で2週間なりひと月なり不在にすることが多かったから、その辺は子離れの練習になってたのだろう。自分はもともとそのへんドライなのか、生きてるとわかってりゃ良い・なんかあれば連絡来るだろ・自分も無反応だったんだから無反応でもまあ当然だろう、くらいには思っているので、どうしてるかなあとは思うけどそれくらいだし*3

話は変わる。

クラス替えになった時に「この状態、連休明けまで持つのだろうか」みたいなことを毎年考えていた。そしてだいたいその予感は当たった。もちろん原因は自分な*4ので、全てを諦めるしかなかった。

きしねんりょ、という言葉を見かける機会がここんとこ立て続けにあったので、それについて考えている。きしねんりょ、という言葉の概念について。

単に消えたいのか、環境を変えたいのか、死に至りたいのか。生きて、と願う周囲のそれは本人への圧力になっていないか/圧力でしかないのではないか。誰も最期まで責任は持てない。

学校無くならないかなとカジュアルに思っている学生が、実際に災害などで学校がなくなってしまった時に「やったぜ」と思うのか問題。まあそれどころじゃないのはわかるけども。
あと、日頃からそう思っていたとして本当にそうなった時に自分を責めるのはもちろん良くない。

一年に一度、自分の中のよくわからない思考・発想を整理しておかないと舌禍になりそうな気がするので、ただ書いて忘れることにする*5

 

*1:書いていたのは知らない人

*2:毎週来るとわかってるから何もしなくなるとか、逆にうざったくなって一人暮らしの家に寄りつかなくなって居候なり同棲なり始めるとか

*3:単に他人に関心を持たないという話もあるが

*4:一瞬アイドルの団体名書きそうになって堪えた。

*5:本当に忘れるわけではないけど

【出店のお知らせ】第16回しずおか一箱古本市に出店します

【開催情報】

日時:2024年5月25日(土曜日) 10:00〜15:00

場所:静岡市葵区鷹匠エリア(北街道沿い)
駿府町商店街、水曜文庫前、ひばりブックス前

滑り込みで申し込みました。何回目だろう。

古本屋さんごっこもまた楽しい感じです。

人のリクエストを聞いているわけではないけど、最近は「こういうのあったらいいかな」ってのを選ぶようにしています。

富士宮の古本市が体調不良で出られなかったので、その分も楽しく過ごせたらいいなと思います。ほんとに一箱持ち寄りなので、あんまり派手なことはしないのですが、選書をするのもまた楽しいことだったりします。

基本的に「日程が合えば出るし、合わなきゃ次の機会をと思うし、売れる売れないはあんまり気にしてなくて雑談できたらそれでいいかなと思うし(ぶっちゃけ読書する身としては底は浅いので)」くらいのスタンスです。

書店員から離れて久しいですが、一般ユーザー寄りの方がいいつきあいができているかもしれない。小さい頃からずっと本を読んでたって言っても図鑑見たり料理の本見たり、ってだけなので。なんで本好きなんだろう。まあそれも考えるのもの楽しいかもしれません。

Does the Future Sleep Here?

国立西洋美術館で開催されている 「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか ――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」を見てきた。

西洋美術館にはいわゆる「現代美術」は収蔵していない。ただ、この美術館の成立が「収蔵品に触発され未来の芸術を作る刺激の場になって欲しい」という願いを託されていた、ということを考えると一度精査する必要はあったのかもしれない。

で、そうなんだけど、それをこの場所でする必要はあるの? という気がするんだよなあ。

なので、展示にしてはキャプションもステートメントも多い……というかどちらかというとそれが本当の展示作品なのではという気がしてくる。結局ステートメントと作家から依頼されて書いた文章しかなかった展示もあった*1

なので、図録*2を読み込まないと全体の意図がわからない。

写真は基本的にはOKなのだけど、今回のはどれも撮ろうという気にはならなかった。こんな作品がありました、みんな見に行こう、じゃあないんだよなきっと、と思ったからだった。

単体で見るとどれも良いと思った。見た人のどれが良かった、という感想がわりと偏っていて、そう思うのも宜なるかなという気がしないでもない。どうしても「ここでこれを展示する必要があるのか」問題が頭にあるからだと思う。

内覧会の時に抗議パフォーマンスがあったけれども、あれについても展示には言及があって、あのパフォーマンスも込みのインスタレーションだったのか、と思ってしまったりもした*3

アートウォッチャーの人が「自明な解答の用意された茶番劇に対する前衛的抵抗の応酬」と言っていたけれど、まあそういうことなんだろうな。パープルームの展示があるってそういうことなんだと思うし。

ドヤの人の聞き書き(描き)なんかは作品なんだけど、どちらかというと提案した美術館の人の意図が透けて見えたりして、展示そのものはすごくよかったけど「美術展とは……?」みたいは気持ちでいたのはたしかだった。

なんとなく、本当になんとなくだが、論争になってしまった愛知トリエンナーレの延長というか、傍流というか、不謹慎にはならない(不謹慎と捉えられて炎上しない)ギリギリをつこうとしている、みたいな印象はあった。なんでかはわからんけど。ときどき妙に不穏な空気が感じられたからかもしれん。

ま、でも自分は美術の素養はないし、見たまま思ったまま書いてるだけなので、意図と違う捉え方をしているかもしれない。美術展と思うからおかしな印象を受けるのであって、あれは国立西洋美術館の成り立ち(とその先)を追っていったもの、と捉えたらもしかしたら違うふうに見られたのかもしれないな。

*1:が、常設展を見るとその種明かし……というか伏線回収に思えるものがあった

*2:というかそれらと作者への聞き書き

*3:そもそもそういう作風、芸風の人とのことなので、その人を招聘した段階でそうなることは織り込み済みだったのだろう