空想少年通信

素人物書きのつれづれブログ。

一緒に買うもの

Amazonでロープを閲覧すると、この商品を買った人は一緒にこれも買っています、と「完全自殺マニュアル」を勧められるのだそうだ。なんということだろう。
今はもう処分してしまったのだが、完全自殺マニュアルは初版で持っていて、ときどき思い出したように読み返してはいつかこれが小説とか脚本とかに使えないだろうか、と考えていた。もちろんそんな技量などなかったので結局最後まで資料としては使わなかった。だが、いつだったか、兄弟に「(自殺を)するのかと思った」と言われたことがあった。残念ながら、その用途に使われることはなく、さすがに子どもが読むのは相応しくないよなぁ、という(ある意味一番大人の理由で)処分してしまった。
それはそれで間違っていないので後悔などはしていないのだが、Amazonで勧められるとなぁ。もちろん、自分だけでなく、どこでもこの表示がされるようで、はてブでも何人かの方がブックマークしていらっしゃった。

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死にたいなーと口に出すことで、本当に死のうとすることを防いでいるような感じ。それは今に始まったことではなく、もう、何年も(一桁ではないな)続いている。恐らくそれがやむことはない。ときどき、ロープを探して確保したほうがいいな、と思う。この前見つけたのは次に探したときに見当たらなかった。それはそれでしかたない。
アパートの上階に住んでいたときは発作的にここから飛び降りたら死ぬかなーと思い、すんでのところまでいったことがある。上階といってもたかだか3〜4階のことだから、よほど打ち所が悪くない限りは恐らく死なない。そう思ったらすぅっと熱が冷めた。
その後、引っ越しをしたので更に死ぬことなど出来ない高さになってしまい、今はほんの少し、物足りなさを感じる。

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子どもの頃のほうがよほど毎日死ぬことばかり考えていたのではないか。死ぬのが怖いといって泣いた憶えがない。むしろ朝起きて今日も生きていたことに絶望する毎日だった。またあのつらい一日が始まるなんて。
他人の所為にすれば気も楽になっただろう。ただ他人の所為にしたところで、自分の存在のムダさがなくなるはずもなく、そこにいるだけで「むかつく」と感じることには変わりはない。自分が悪いんならしかたないよね。そう、思ったほうが気が楽になったのだ。なぜかはわからない。おそらく本当に自分が悪かったのだと思う。うん、しかたない。

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ここのところ、本当に負のオーラを出して歩いているらしく、何人かの人に心配していただいている。ありがたく思うのと同時に、申し訳なく思う。すみません、ほんとうに。生きててごめんなさい、という気分。