空想少年通信

素人物書きのつれづれブログ。

「KAISHI vol.1 -家族・郊外-」を読んだ

ちょっとまとまりのない文ですみません。非常にとっ散らかった感想しか出てこなかった。
評論とか小説とかコラムとかネット座談会とか収録のミニコミ誌。……っていう認識でいいのかな。
思ったよりもテーマの中で拡散している印象。
で。なんか全然父親の姿が見えないっていう。個別に見ていくといるんだよ。でも、なんだろう。ねじくれた母性みたいなのは見えるんだけど、父性っていうのかな、そういうのが全然見えない。お父さん、キライ?
新しいお父さんは亀。でもお父さんていうよりは自分の母親が連れてきた新しいペットみたいな感じ。もしくはどっかで母親を女と見てて、女である母の性のはけ口としての男のメタファーか、とか。ちょっとうがった見方をしすぎか。こういうのってたいてい的外れになるからなぁ。
うろこを描こうとするうちの子は父親がいない。初潮直前の女子だよね。母=女=得体の知れない気持ち悪いもの、みたいな感じ。
で、(元)彼氏に流されてる女の子は(元)彼女っていうよりは「ママ(=都合のいいときに甘えさせてくれる)」的な立ち位置の、彼女だった。
もうひとつ、ひたすら考えあぐねている家には昔っからの(ていうと暴論かなぁ)「家事育児は母親がするもの」的な考えを持ってるんじゃないかと思われそうな父親がいる。それだけ。いるんだけど、居ない父性。この母親はなんか「おしまいの日」の主人公みたいにみえなくもないけども。それはまた別の話か。
大昔はそれでもなんとか回ってきたし、まわしてきたけれども。そしてそれで成り立っている社会であったけれども。それが前提の社会であったけれども。それを体現しているのは今は郊外のショッピングセンターくらいなのかなぁ。母親と子どもだけで一日なんとかなりそうな場所。おやつが食べられて、女子服と子供服は充実してて、紳士服(というか、男の普段着)はいまいち、というところとか。ここに出てくる、いるようでいない、父親の存在に呼応してないか。なんてね。
そんなことを思いながら読んでいた。意味不明ですみません。
父親って、実はいらないのかもね。繁殖が終われば、カマキリみたいに栄養になるわけでもなし、ライオンみたいに敵を追っ払うわけでもなし。生きるためのもの(=給料)を持ってきてくれればそれでいいのかも。それなら、関係が希薄でも、話なんかしたことなくても、なにしてるか知らなくても、それこそ人間じゃなくてもなんとかなるのかもしれない。
……というなんだかもやもやとしたものをかかえつつ読み終わったのでした。むーん。
でもまぁ、まがりなりにも自分も父親業をやっているわけで、せめて「なんかあったら父さんに任せなさい。なんとかします。なんとでもします」って言える立場でありたいねぇ。