はじめに
「短編小説の集い のべらっくす」さんの企画に参加再び。
今回は「桜の季節」ということです。卒業とか入学とか桜の森の満開の下とか、いろいろあるんでしょうが、古い桜の樹ってなんか願いを叶えてくれそうだよなあと常々思っているところからの話です。あんまり春関係ないかも(レギュレーション守れよ)。
今回は4000字弱。自分としてはわりと標準的な長さ。飽きる前に書き終わり、飽きる前に読み終わる。
今回は三人称。大丈夫かな。それでは続きを読むからどうぞ。
「願い桜」
市の外れ、高台にあるこの学校には一つ言い伝えがある。
「桜が咲く直前に学校にあるいちばん古い樹に、その年一番最初に願い事をすると叶う」
いつからそんなことになったのか、誰が言い出したのかなんか誰も知らない。部活の試合でレギュラーになる。好きな人に告白する。志望校に合格する。みな他愛のないことを願っては、なんとなくそのとおりになり、言い伝えがまた真実となる。それだけのことだった。
暖冬からそのままはっきりとしない春がやってきて、咲く準備を終えた桜の木が濃い色を帯びてきた頃のことだ。
あたりももう暗くなって、誰がそこにいるかわからない時間に、樹のそばまで来た少年がいた。ヤマウチだ。
ヤマウチはクラスの中でも目立たない存在で、誰からも相手にされることなく、いつもひとりで過ごしていた。理由はない。全員の「なんか面倒くさそう」という考えが重なって、いつの間にかそうなっていた。酷くいじめられることもないかわりに、誰も彼を意識しなかった。
ヤマウチはいちばん古い樹の場所を昼間のうちに確認していた。誰もなにも言わないだろうけれど、誰かと同じように言い伝えを信じて願い事をするのを見られるのはいやだった。
回りに誰もいないことを何度も確認する。もし誰かに見られたら。どうせ叶うはずなんかないことを願うのだ、ひとりでこっそりやって、それで満足したら卒業まではまた何もなく過ごせるだろう。
だけどもし、万が一叶ったら。
自分のことを気にするようなやつもいないのだから、本当にそうなっても誰も気づかないはずだ。家族のことは、この際どうでも良かった。
両手を広げて、樹にしがみつく。耳を幹にあて、なにか音が聞こえてこないか深呼吸して待った。
さああ、という音が聞こえてくる。木の幹から聞こえてくるのか、自分の中にある音なのかはわからなかった。
その音以外なにも聞こえなくなったら、願い事をする。それがルールだ。
「誰にも気づかれないように、僕の存在を消してください。もう、ここにいたくないんだ」
願い事というよりは、ほとんど叫びに近かった。いてもいなくても同じならば。消えてしまえたらいいのに。
◆
それから三日もしないうちに桜は5分咲きになり、新学期が始まった。
誰がどのクラスになるかは教室の前の黒板に書いてある。
ひととおり名前を確認してから自分のクラスに入ったり、友達に手を引かれて入っていったり、それぞれだ。
一つだけ机の数が多いクラスがあった。なんのためにそこにおいてあるのかは誰もわからなかった。
「転校生、来るんだっけか」
「そんな話してなかったよ」
ざわざわと教室の中がゆらめく。それも教師が入ってくるとすぐに止み、それ以上は誰も気にしなくなった。
あれ、と誰にいうでもなく声がした。遅れて教室に入ってきたヤマナカだった。ヤマナカはお調子者だが、誰からも愛されるやつだ。なにをしても「ヤマナカだからいいよ」と言われるくらいだった。
「どした?」
「なんかひとり足りなくね?」
んなわけねえだろ、とあっさり返される。そらまあ、そうなんだろうけど。だけど、いつも自分の前にあるはずの名前がなかった。彼がわかるのはそれだけだった。誰だっけ。いつも自分の前に誰かいたのになあ。
なんともいいようのない「空いた感じ」がしたけれど、誰もわからないようなら、たぶん自分の気のせいなのだろう。そう思うことにした。
ホームルームがはじまり、すぐに先生の話に退屈しだす。どうせ毎年同じことのくりかえしなのになんでこんな時間かかんのかな。そんなことより外でサッカーやろうぜ。ヤマナカは自分の前の席に座る同級生の背中を観察しはじめた。
坊主頭、てかったガクランの背中、首筋にはほくろ。いつもこんな風景だっただろうか。
自分が見慣れていたのは、少し伸びた耳にかかる髪と、自分のうちとは違う柔軟剤の匂い。ほおづえをついて顔はいつも下か、窓のほうを見ている。そんな姿だったはずだ。それが自分の視界にないのはとても不思議だった。やっぱ誰か足りない。
自分が気づかないだけで、違うクラスになったんだろうか。それならそれでいいんだけどさ。
放課後、ヤマナカは他のクラスを回って名簿を確認することにした。自分の前にいそうな名前を順に探す。マツシタ、ミヤタ、ムトウ、モウリ、モリ、ヤザキ、ヤノ。
ヤマグチ……あ。
ヤマナカはなにかを思い出したように職員室に急ぐ。誰もわかんないしどうでも良いんだけど、なんでいないのかだけが知りたい。自分の中の「空いた感じ」の答えがわかってすっきりすればそれでいい。
「センセ、ヤマウチっていたじゃん? 転校した?」
その言葉を聞いた教師は「なに言ってんだお前」という顔をした。そんなやつ、この学校にはいないぞ。
うっそだあ。ヤマナカはおおげさに驚く。だっていつもおれの前にいて、なんかあったらおれに相手させてたじゃん。ヤマウチ。なんだっけ、すっげえおとなしいやつ。
それだけまくし立てても「漫画かなんかと間違えてんじゃないのか」と誰もとりあわなかった。気のせいか。気のせい、なのか?
ヤマナカは教室に戻った。使う人のいない、空いた机を見た。
「いつもごめんね。僕の相手とか面倒くさいことさせて」
「なにいってんだよ。ほか誰もお前のこと相手にしてないじゃん。失礼な話だよな」
今度からもう、そんなことないようにするから。
今度から。……今度?
机の中に手を入れてみた。別になにかあるわけでもないのに、と思って二、三回、中をごそごそやると、紙に手が当たった。それは見たことのあるような、ないような字の手紙だった。
◆
ヤマナカくんへ
いつもごめんなさい
もう迷惑かけないようにするから
いままでありがとう
ヤマウチ
◆
今年は誰が桜の樹に願いを叶えてもらったんだろうか、という話になった。次の日のことだ。何人かが言い伝えを信じて、願いをかなえてもらおうとしたらしい。今年は珍しく誰もその願いがかなえられなかったのだ。
「誰かいたってことだよなー」
「すっげー準備万端だよな」
「彼女ほしいとか?」
教室の隅ではいつもどおり馬鹿な話で盛り上がっていた。誰も本気にしてはないのだけれど、誰かに先を越されるとなんだか悔しい、というのが本音のようだった。
「アイドルになりてえ」
「お前馬鹿だろ」
教室中が沸く。テレビで見たような、下手なフリまねをして受けを狙うやつらだった。
「お前ら黙れ。始業ベル鳴っただろ」
気がつかないうちに教師がいて、ざわついていた教室は一気に静かになった。
放課後、誰もいなくなったのを確認して、ヤマナカは敷地内のいちばん古い桜の樹の前にいた。
「まさかと思うけどさ、これじゃないよな」
あんな言い伝えなんか嘘に決まってるさ。いつもヤマナカはいっていた。そんな都合のいいことなんかあるわけないだろ。願い事を口にして、それが叶うように自分でも気づかないうちにがんばっただけじゃん。暗示だよ暗示。
だけど、毎年誰かが必ず叶えているのに、今年は誰も願いを叶えていないという事実と、自分だけが気づいたということと、この手紙。なんかあるとしか思えないだろ。これ。
ヤマナカは手紙を樹に押しつける。作法なんか知らない。誰かに見られたら恥ずかしいとは思うけど、でも。
「あのさ、なんて言ったのかしらないけれど、ヤマウチ返してよ。おれだけ気づいちゃったんだよ。だったらヤマウチの願いがそうなら、それって無効なんじゃねえの」
それだけいうと木から離れた。こんな手紙でどうしろっていうんだよ。迷惑のかけかたが違えだろ。馬鹿。
「言うこと聞かなかったら、虫沸いたとかって言って、切り倒してもらうからな」
自分でもむちゃくちゃだな、とヤマナカは思った。これで本当に戻ってきたら、また自分だけがヤマウチの相手をすることになるかもしれないのに。だけど、そんなことはどうでもよかったのかもしれない。毎日見るあの姿がない、転校とかそんな理由ならともかく、くだらない言い伝えでいなくなるのだけがいやだった。
「とにかく、今すぐもとに戻せ。あいつはおれの友だちだからな」
その時、風も吹いていないのに、この樹だけが大きく揺れたような気がした。
◆
週明け。いつものように教室の中は騒がしい。その中に、ぽつんとひとりほおづえをついて窓の外を見ている少年がいた。
「なんだよヤマナカ、今日遅刻してないじゃん」
「うっせえ、おれだって早起きくらいしーまーすー」
ヤマナカは乱暴にかばんを置く。一つ前の席の背中にかばんの紐があたった。
「悪い、痛くなかった?」
「大丈夫だよ。ごめんね」
あれ。
ヤマナカは空いた机があったあたりを見た。今日はない。
自分の目の前にいる背中を見る。いつも通りだ。
「お前どこ行ってたんだよ」
ふりむくヤマウチは少しびっくりして、でも質問の意味がわからない、と言うような顔をした。
「別に、どこも……毎日学校来てるよ」
「そっか。ならいいや」
ヤマウチは突然そんなことを聞かれて驚いていた。顔には出さないようにしていたけれど、何もないのに声をかけられたのは久しぶりだったからだった。ヤマウチにここ数日の記憶はない。気がつくと家にいてそれはまるでワープしたみたいにその数日のうちになにがあったかすっぽり抜けていた。
ただ、目が覚める直前に「今すぐもとに戻せ。あいつはおれの友だちだからな」と言う声が聞こえたことだけは覚えていた。誰の声かもすぐにわかった。そして、自分の願いはかなわなかったけれど、誰かの願いがかなったことに気がついたのだった。
「ヤマナカくん」
「あ?」
怠そうな返事が返ってきた。自分から声をかけたのはたぶん初めてだ。
「今年もよろしくね」
返事は聞かなかった。そのほうがいいと思ったからだ。でも、後ろから返ってきたのは今まで聞いたことのないような言葉だった。
「二度と心配させんな、馬鹿」