空想少年通信

素人物書きのつれづれブログ。

ぐんぐんのびて、てんまでとどけ。

誕生日、というエントリを見かけて、ちょっとだけ。

 

 

その近辺は、子供のころは夏休みの宿題に追われている時期。夏休みに2日だけある登校日のあとの日程の方で、担任の先生に「どうして今日が登校日なん?」と聞くと「給与明細をもらう日だから」と言われたことがある(たぶん方便)。

誕生会とかやったことはあるけど、あんまり記憶がない。連絡手段……というか呼びたい子の家に呼びに行かないといけないというのがたぶん自分にはダメだったんだろう。

 

学生の頃は誕生日の人を大勢でファミレスに連れて行って、誕生日サービスを受けてくるというのを何度もやった。店内の明かりが少し暗くなって、ろうそくの付いたデザートを持ってきてもらって、歌をうたうのだ。

何度も何度もやったけれど、自分のはやった覚えはない。別にいい、と言ったのか、そもそも話にも出なかったのかすら覚えていない。夏休み中だしね。

中学とか高校のころから、毎年自分で自分にプレゼントを買う。CDだったり、本だったりするけれど、誰かに期待をするよりは自分で何とかしたほうがいいということをその頃に覚えた。ような気がする。

 

 

誕生日を言うと星座を当てられて、自分の話し方とか仕草から「やっぱり」と言われる。ほぼ100%で。やっぱり、のあとにはたぶん「だからこいつ気持ち悪いんだ」というのがついてきている。気にしないふりをして、あとで泣きそうになる。

 

 

ツイッターでもフェイスブックでも誕生日の登録をしていない。おめでとうというのは好きだけど、言われるのは好きじゃない。なにか他の人に負担をかけているような気がするからだ。

もう何年も前に、そのときにお世話になっていた会社の人から、自分ともう一人の人が働いている職場に急に電話をしてきて「君たち同じ誕生日なんだってね」と興奮したように話をした。「同じって、日付ですか?」「いや、生年月日全部。すごいな~」

事態がよく飲み込めなかったのだけど、「はあ、」という返事しかできなくて「それだけなんだけど、仕事がんばってね」とか言われて電話は切れた。

その、同じ誕生日という人とはその話は全くすることはなく、その人とは働く場所も変わってしまったのだけれど、彼が移動になる日に「これ」とCDを渡された。知っている人がこういう音楽をやっているからぜひ聞いてくれ、と。あと新聞記事のコピーも。確かそんなものを。正直なところ、かなり戸惑ってしまったのだけれど、もしかしたら彼も自分と同じように人付き合いが苦手だったのかもしれない。わかんないけど。

 

 

自分の前の日は知っている人の、次の日は友人の、12日前は亡くなった友人の、2日あとは中学の時の同級生の、誕生日。

深い意味はなく、何となく覚えていった。この前見つけた人は自分か、自分の友人と同じ誕生日だという(確認した)。覚えておこう。きっといい一年になるよ。

絶望ばかりして悲観ばかりしていたけれど、いつからかそう思わないようになったし、案外どうにでもなるということも覚えた。だから、今からのほうがきっといい一年になるよ。