知らなければ幸せに過ごせたのか、と言われれば、そうかもしれない、と答えるしかないわけで、以前、メッセージのやり取りをして夜に少し話した友人は、次の日に亡くなった(急病で)。また会おうね、という約束のような何かは永遠に保留になった。
言葉が呪いのようななにかに、足枷のようになるのであれば、悪い言葉よりも些細な約束がその人の心に残っていてほしい。誰かの人生は誰かのもので、他人は手を差し伸べることはできても、その人として生きていくことはできない。願わくば、互いに顧みることがなくなったとしても、どうか健やかでいてほしい。
もちろん、これは、ただの自分のわがままだ。
人のことを思いやっているようで、その実自分のことしか考えていないのでは、と思うことはある。いちいち自分のこととして考えていたら身が持たないし、きりがない。ただ、その線引きの位置がわからないのは事実だ。
深入りしすぎて煙たがられることも、お前には関係ないだろうと言われることも、何もできないくせにと罵られることもある。全て事実で、だから、何もしないことを選ぶということもする。
ああ、と思ってそれ以上はなにも考えない、なんの感想も持たないことが必要だ。そうするべきだし、それしかない。
だって情報が少なすぎるんだもの。
何書いてんだと思うだろうが、そんなことを思ったのだったよ。いつか「なんでこれ書いたんだっけ」と思うために。