2/23にドキュメンタリー映画「愛と法」を見てきた。横浜まで。近所でもやってたんだけど、上映期間失念してて二回もチャンスあったのに全然見られなかったんだよ。
「愛と法」はゲイの弁護士カップルの日々。比較的淡々と描かれている。取り上げられているのはろくでなし子裁判とか無戸籍裁判とか君が代不起立裁判とか。ときどき断片的に聞こえてくる事件の担当をしているのが南さんと吉田さんの二人だということを知ってなんとなく腑に落ちた。
バックグラウンドがゲイというのがポイントなのかなあ。でもあんまりそこばっかりにフォーカスされてない。その辺ばかりを期待すると肩すかしくらったみたいに思うかもよ。
たしかに法的に婚姻関係にないとか(なのでなんかあった時に家族として見なされないのよね)、たぶん世間の目とかいろいろあるから、ときどき苛立ってたり途方に暮れてたりするんだろうけど、あんまりそこで立ち止まらずにひたすら前進してる感がある。
(でも一ツ橋のアウティングのあれ(もこの人たちが弁護人してる)とかの話を目にするとなんつうか考えこんじゃうんだよなあ)
#愛と法 、「普通って何?」ってことを突きつけてくるなあ、と思いつつ見ていた。最後の方、カズマさんの「うん、普通」っていう言葉はたぶん彼しかわからないニュアンスだと思ったし、彼がそういうなら普通なんだろう、と。
— 添嶋譲 (@literaryace) 2019年2月23日
(メモ程度の話なので突っ込まれても困るんだけど
あと、無戸籍の人の話も、同性婚の話もそうなのかもしれないけど、現状として「(事実として)ある/いる」てのと「認める/認めない」が一緒くたにされてる気がする。だからあの弁護士さんは苛立つんだろう。 #愛と法
— 添嶋譲 (@literaryace) 2019年2月23日
ズレをズレとして「ある/いる」こととするって難しいんだよな。もしくはズレという言い方そのものも合ってないと思うんだけど、「ある/いる」にみんな好き嫌いをつけたり見ないふり、ないことにする、とかをやりすぎなんじゃないか #愛と法
— 添嶋譲 (@literaryace) 2019年2月23日
というのが見た終わりに感じたこと。なんというか普通である/普通ではない(おかしい)ってどこが境界なんだろうっていつも思うんだけど(おそらく自分の基準と他の人や当事者とは異なるとは思っている)それに対して深く考えないといけないんだろうなあなんて思ったのでした。
残念ながら横浜での上映はもう終わってしまったのだけれど、まだ巡回上映やってるっていうし、いろいろ思うところは皆さんあるかもしれないけれど、機会があったら見てほしい。