みんな旅立っていくんです、と歌ったのは決して歌の上手くはなかった素人集団みたいな昭和のアイドルでしたな。
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独立して近くに住んでいた子が、少々離れたところに越して行った。ライフスタイルの変化だそうだ。本人達がそれでいいならいいんじゃないの、と思っているので、願うのは健康的な生活だけ。家人は子が離れていくので当然寂しそうではある。(世間一般で言う、妻が夫に対しては期待する余地など全くないと思っているように)自分じゃ当てにならんもんな。
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進学して一人暮らしを始めた子のところに新幹線でかけつけ、食事を作り置きした上で「なくなる頃にまた来なくちゃ」と言っている親がいる、というのをTwitter(現X)で見た*1。子離れできてねーなと単純に思ったのだが、果たして当の子はそれを良しとしているのか。監視されてるみたいで気分は良くないんじゃないか。
そんなに子の生活が気になるなら新幹線通学させた方が良かったんじゃないの、と他人事ながら考えてしまうが、まあ、ほんとに他人事だしなあ。
そう遠くないうちにその子の生活が破綻するか何かするんじゃないかという気はする*2。うちは心配は心配だが、立ち入ってはいけない部分は弁えているつもりなのでそのへんは(我慢するということも含め)線を引いているつもり。
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予備校の季節講習で2週間なりひと月なり不在にすることが多かったから、その辺は子離れの練習になってたのだろう。自分はもともとそのへんドライなのか、生きてるとわかってりゃ良い・なんかあれば連絡来るだろ・自分も無反応だったんだから無反応でもまあ当然だろう、くらいには思っているので、どうしてるかなあとは思うけどそれくらいだし*3。
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話は変わる。
クラス替えになった時に「この状態、連休明けまで持つのだろうか」みたいなことを毎年考えていた。そしてだいたいその予感は当たった。もちろん原因は自分な*4ので、全てを諦めるしかなかった。
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きしねんりょ、という言葉を見かける機会がここんとこ立て続けにあったので、それについて考えている。きしねんりょ、という言葉の概念について。
単に消えたいのか、環境を変えたいのか、死に至りたいのか。生きて、と願う周囲のそれは本人への圧力になっていないか/圧力でしかないのではないか。誰も最期まで責任は持てない。
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学校無くならないかなとカジュアルに思っている学生が、実際に災害などで学校がなくなってしまった時に「やったぜ」と思うのか問題。まあそれどころじゃないのはわかるけども。
あと、日頃からそう思っていたとして本当にそうなった時に自分を責めるのはもちろん良くない。
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一年に一度、自分の中のよくわからない思考・発想を整理しておかないと舌禍になりそうな気がするので、ただ書いて忘れることにする*5。