名前。実名で生きて半世紀、添嶋名乗って30年。もはやどっちでもいいやってなもんである。
実名だって戸籍の漢字表記にしてもらえることが案外多くなくて、漢字変換で出てきたそれっぽいやつになってることがある。友人からの年賀状とか。DMとか。個人が特定できればなんでもいいと思っているので、今はいちいち訂正をしてもらおうとすることはしないのだけど*1、とはいえ、漢字表記が間違ってたらなんかしょんぼりする。それは筆名も同じのはずだけど、べつにシマの字違ってても困んねえしなあ、字面で決めただけだし、みたいなのも事実。
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ここのところ実名でやり取り、公の場では筆名みたいなことが続いていて、どっちでもいいやと思うことがままある。この前も縁があって新聞記事にコメントを出していただいた。
活字で見る紙面は本当に他人事のようで、
しかし偽名で載るとすごい他人事感あるな
— 添嶋譲 (@literaryace) 2022年9月13日
みたいなことを呟いてしまう。友人からは「人生の半分その名前でいるのに」と言われた。そりゃそうだ。でもなんか自分のことじゃないみたい。Vtuberってこんな感じなんだろうか、と思ってしまっている。
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なんでこんなこと書いてるかってうっかりインスタのメッセージから、お世話になっている工務店さんに「××の○○です。お世話になります」というような書き出しのメッセージを送ったらえらい驚かれたから、なんだけど、そういえばあのアカウント筆名で運用してましたな。そりゃわかんねえわな。
いろいろ経緯を説明しつつ*2、こことここでこんなことしてるんですよ、みたいな話もしつつ。いま全然書いてないですけど。
書いてないけど筆名で、上達も進歩もなんの稼ぎにもならないのに続けてるってある意味すごいことなのかもしれない。すごくないか。書いている人、どういう形であれ結果を出している人のほうが偉いのだよ。
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そんなこんなで書いてないといいつつ、この前突然思い立ったので二つほど話書いて、閲覧数稼げるわけでもないのにnoteとステキブンゲイで公開しているのがあるんだけど(読んでいただいてありがとうございます)、もうちょっと頑張って書きますかね……。書いてて「いやこれだめだろ」とボツになりそうなのがすでにあったりするけど。
あ、あと、10/22、何もなければ東静岡のグランシップ横広場で古本とか残り少ない自作本とか並べてのんびりしてます。よかったら来てね。
もちろん静岡文学マルシェもよろしくお願いします。