長くなりすぎたのと、つまらない話なので折りたたむ。脈絡がないのはいつものことなので勘弁してください。
一次通過とか二次通過とか。
一回だけ行ったコミティアだったか、文学フリマだったかで、どこかのサークルの人に「こっちが(何次通過だか忘れた)通過してて、こっちが通過しなかったやつです。なので出来はきっとこっち(通過したほう)のほうがいいので、こっち(通過したほう)がお勧めです」って言われたことがある。結局好きなジャンルでなかったので立ち読みだけで失礼したのだけど、あれ、売り文句としては適切じゃないよなあってずっと思ってた。
で、某所で某氏が「一次通過とか二次通過とかそんなのはどうでもいいんだよ。俺にとってのいい作品を持ってきやがれ(乱暴な要約)」といっていたのを見て、ああ、これだ、と思った。
文学フリマに限らず、イベントにあわせて作るって言うのは締め切りがないとやらない人が多いから、それはそれでいいんだけど、でも「うまくかけなかったけど、これでいいや」って言って本を作って持ってくる人っていないと思うんだ。(現時点での精一杯ではあるけれど)面白い(と思ってもらえるような)物を作ってくるんだよね。だから、そこはもっと自信を持って「がんばったので、ぜひ読んでください」でいいと思うんだよ。
僕はいつも「つまらなくはないと思うんだ」っていう気弱な宣伝をするんだけれど、コンピに関しては「僕が面白い作品を書くと思った人にお願いして書いてもらったんだから、面白いんです!」って言って宣伝をした。だからそれが伝わったんだと思うよ。あと、書いてくださった方がそれぞれ自信を持ってお知らせしてくださったから。なので、僕の思った面白い、が手にとって下さった皆さんにも伝わるといいなと思う。
非公式ガイドとか。
表立って協力したとか言わないですけど、評定をした。前回もそうかな。推薦したけどダメだった。その前ともうひとつ前は推薦が通ったのか。
んで、毎回毎回ツイッターで火種がぶすぶすいっていて、正直どうでもいいんだけど、せっかくなのでつぶやいたいくつかのことを貼り付けておく。
ここのところの非公式ガイドって
推薦「俺はこれが好きだー」
評定パターンA「俺も好き。いいよねー」
評定パターンB「うん、うーん、まあ、そうね、うん」
評定パターンC「そっかー? 俺は好きくない」
っていうのをやっただけじゃん。
名前が大仰なだけで、実はさもないことだと思う。
— 添嶋譲 (@literaryace) 2014, 5月 7
推薦とか評定とか言ってるけど、要するに紹介してるわけだし。なに読んでいいかわかんないっていう人が一定数いるわけだし。その人たちにむけての紹介。
「好き?」「好き!」「好き?」「好き!」「あーー、だ、い、す、き、だあああ!」ってのを、あんだけの人数関わっててやったらそれこそ気持ち悪い。
— 添嶋譲 (@literaryace) 2014, 5月 7
かかわってるの何人くらいだっけ、20何人くらい? それだけいて、あの650サークルの出す膨大な本の中から取ってきた本が、全会一致で「いいね」ってなったらそれはそれで気持ち悪いって思う。
そもそもが(僕の思い違いかもしれないけど)「壁に投げたくなるような小説もどきの一掃」みたいな話が出てきたところから広がってるから文壇つくろーぜみたいに見えるだけでさ。
それが一番の目的なら僕は参加しませんが。
— 添嶋譲 (@literaryace) 2014, 5月 7
中には「壁に投げたくなるような小説もどきの一掃」を唱えるような荒ぶる人もいて、そういう意見には一ミリも賛同できないんだけど(真意を知ってもたぶん、じゃあ、そういう言い方しなよって思うし)、文フリが「自分が文学だと思っているもの」を持ってくることって言っているわけだから、何人たりともそれを拒絶しちゃいけない。そんなに「自分が思う文学だけ来いよ」っていうなら、そういう場を作るべきだし、なんなら君がオーディションでもしてそろえなよ、って思う。いつも思う。
ストレイキャットさんは「褒めて育てる」主義で、クランチマガジンさんは「互いに切磋琢磨しあう」主義で、非公式ガイドは「バズる」って違いがあると思うけど、やってることは変わらないよ。たぶんだけど。
— 添嶋譲 (@literaryace) 2014, 5月 7
それは各家庭の育児方針と一緒で、みんな違って当たり前なんだから、各家庭の育児方針に噛みつくのは(暴力ふるったりするならともかく)お門違いだよ。それで紹介された人、作品がどう育つか、どう広がるかを見るべきであって、ガイドや感想本そのものが価値を持つ必要はない。
— 添嶋譲 (@literaryace) 2014, 5月 7
これらの感想本やサイトなんかを見て、その本を読みたいと思うかどうかが重要なのであって、ここにあるものの中で優劣を決めるのが趣旨ではないはず。だって「紹介」本なんだもん。
という今までの5つが僕の思うところ。
僕の推薦は取りまとめの方たちに「こういうのあんま読まんじゃろ? おもしろかったけえ、読んでみて」っていう感じで
「へえ、知らんかった載せる」って言われたらよっしゃ!ってなるようにしてる。
— 添嶋譲 (@literaryace) 2014, 5月 7
正直なところ、なにか推薦しなくちゃ、って思って読んでもおもろないもん。自然発生的に「これ! 読んで‼︎ ちょー面白かった‼︎」てなるのがいちばんだしね。
— 添嶋譲 (@literaryace) 2014, 5月 7
ジャンル的には僕の書いたものが小説ガイドに載るわけないんで、いちばん気楽なのかもしれませんが。プロになりたい人も趣味のひとももっと肩の力抜いてやろうぜ。
本当はやめようと思った。
文学フリマには過去の自分に落とし前をつけたくて出てた。本を作りたかった自分、物書きになりたかった自分、誰かと一緒に何かをしたかった自分。一個ずつクリアしてったら本当になんか満足しちゃって、これで最後でいいやって思ったのが前回。で、最後に自分で合同誌作ったらやりたいこと全部おしまいって思って、やった。
ぶっちゃけて言うと、自分の中で落とし前がついてしまった。
そうなると燃え尽き症候群じゃないけど、続ける大義がなくなった以上、続けることはないなって思って。なので、もう出ないってアナウンスしてる。
でも、コンピが思ったよりも好評で、書いていただいた方からも「またやりましょう」って言ってもらえて、ちょっと元気が出たって言うか、もうちょっとやりようがあるのかもって思えるようになった。
さすがにじゃあ次回って言うにはごめん、予算がもうないのと気持ちがまだ追いついてきていないので、やっぱりしばらく休みます。一年か二年くらい。そうじゃなかったら、小部数発行して、書いてくれた人に配って、自家通販するくらいの超小規模に。
あと、今朝、いつになるかまったくわからない次回作のタイトルだけ思いついたので、それを作るために。
合同誌とか。
くりかえすが、普段一人で全部やってるんで、誰かと一緒に本を作るということをしたことがあんまりない。一回やりたかったのと、サークル名つけて活動し始めてだいたい五年くらいなのと「あなたの書く文章が好きなので、もっと読みたいので書いてください」といいたかったので、コンピレーションを作ることにした。アンソロジーじゃないのはそういうわけだから。
コンピ本は原稿のお願いをするときに「自分のお誕生会をやりたいから、来て」って言って、強引に来てもらうみたいな感じだった。迷惑じゃないかなーとずっと思ってた。
途中、ある方とは内容に関して感想を言って直してもらったり、別の方とは紙面の感じを何度かやり取りして直したりして、やっとそういう感じがなくなった。
(あまりに無茶振り過ぎて困らせてしまったのはまた別の話。)
結果、自分ではいいものができたと思っているし、皆さんにも自信を持って薦められるようになったと思います。って言うか増刷するんでぜひ読んでください。
それで、一回だけやろうって決めて、一回やったからもう満足。そう思っていた。
でも(イベント出るのやめようと思ったけど、ちょっと休んだらまた出ようと思ったみたいに)この人にも声をかけてみようって思ったのと、次もやりましょうっていってもらえたのと、自分も書きたいって言ってもらえたのと、どうしたら参加できますかって言ってもらえたのがあって、こういうのありなんだ、って思った。
なので、回りくどいのと、辞める辞める詐欺みたいで嫌なんだけど、またやります。第二号を作ります。いつか必ず。そのときはまた、この人の書いたお話を読みたいって思う方に片っ端から声をかけて、紙の本で読んでみたいって言う人を誘って、もしかしたら本を作りたいけどどうしていいかわからないっていう人がいたらそういうひとも誘って、今度こそ誰かに表紙をお願いして、やろうと思う。
input selectorの合言葉は「自分の得意技で好きなものを書いてください」です。