なにをやっても裏目にしか見えないというのはこういうことを言うのだろうかとぼんやりとテレビを見ながら考えてしまう。
孤立無援だったであろう、彼のことを思うと胸が痛い。もちろん感傷的になるには少々腹立たしすぎることではあるのだが、(文字通り)部外者はこうやって一人ひそかに憤ってこういうところに書くしかないのだった。暴いたり拡散したりするのは僕達のすることじゃない。(誰もあてにならないとしても、だ)
そういえば、と昔書いたものを読み返す。放課後、という安直なタイトルで書いたものだ。当時はどうしてもとれないトゲのようにどこかがしくしくと痛み、ひとり暮らしなのにこっそり泣いたり友人に当たってみたり、きっとどこかおかしかったのだ。それをなんとかしたくて、頭にこびりついたヘドロをはがすように書いていた。最初はすがるように。ただ思い出すように。いつかどうでもよかったのか、と思えるようになるまで(自分でも頭のおかしいヤツと思いながら)書いたのだった。はずだ。
もう15年くらい前のものだけれど。本質的にはなにも変わってないんじゃないだろうかと思って。いまのほうがはるかにヘヴィで、あの頃のほうがずっとのんきだった。もちろん当事者だったころには死ぬほど辛いことだったはずだが、時間はなにかしら解決してくれるのかもしれない。そう初めて思った。もう25年以上経ってようやく。
自分だって悪いところはあったけれど。
見ていて腹の立つ人であっただろうけれど。
そばに来るのも嫌なくらいに気持ちの悪い見た目、言動、仕草であったとしても。
大人になってからなら「スルーする」ということもできる。「大人の態度で」接して裏で嫌いだといってなんとかやり過ごすこともできる。子どもにはできないことなんだろうということもわかる。でも。だけども。
彼らが、(どう)しようもないよなあ、と思って放っておくことができたら。お前のせいだ、と思わずに「運が悪かった」って思うことができたら。彼が、上手いこと逃げおおせていたら。周りがちゃんと手を差し伸べていたら(いちばん腹立たしいのがこれだというのもなんだかちょっと)。ifの世界は存在しないとわかっていても、考えずにいられない、もしかしたら、の話を。
とりとめもないことを考えてしまうのだった。