空想少年通信

素人物書きのつれづれブログ。

寝ぼけながら書く

Twitterで久しぶりになんかいい感じのができた。
ただ、例によって例のごとく文字数が全然足りなくてただのプロットみたいになったので、だったら思ったとおり好きな分量で書けばいいじゃないってことで、書いたわけですよ。

それがこれ。

note.com

わりとちゃんとしっかりタイトル考えた*1

そのあと、もう一つ同じ設定で書いて、それも文字数足りなかったので、好きなように書こうと思って書きはじめた。書いてるうちになんか半寝みたいになって、朦朧としながら続きを書いていて、こりゃダメだって思って一旦中断して寝たわけです。

で、後日。

続きを書くかと思ってファイルを開けたら、なにがどうしてこういう話になったか全然覚えとらん。いや、大筋はわかるんだけど、途中にして終わった文章がなんでここにこんなの挟まっとるん、という感じでドーンといて、思いっきり矛盾している。

ダメじゃーん。

というわけで解読作業から入っているのだった。別に締め切りあるわけじゃないし、のんびりやればいい。寝入りばなにいいアイデア思いついた(でも忘れてしまった)って、結局そういうことではないのかと思ってしまった。

それにしても、たぶんアイデアとしてはものすごく陳腐なものだと思う。自分が思いつくんだから、百万人くらい思いつく話なんだ。でもだいたいいつも「これこれこういうことがしたい」「誰某みたいなのを自分もやってみたい」というあたりから始めているんだから、それでいいんじゃないか。
しばらくは考えすぎてもう書かなくていいかと思っていたけれど、いろいろあって、いまは別に誰も読まなくてもいいや、好きで書いてるんだし、くらいの感じには落ちついてきた。イベントに向けて書かなきゃ! とかそういうのもなくなった。*2

ここのところ、「#愛の礫」*3プロジェクトに便乗して書いていたりする。文章ともなんともつかないもの。詩といってもいいのかもしれないけれど、詩を描く人に失礼かもしれないと思うので、ただ、言葉、と言うようになったけど。
ただ、それがきっかけでちょっとずつ書くことを思い出しているし、それがあってあれが書けたわけだし、そんな感じで書けたり書けなかったりすればいいんじゃないかって気がする。

書けたすぐ、推敲もあらかた終わってすぐくらいの時に「これ面白いんか」と思うこともなくはないけれど、完全に手から放して時間を置いて読んでみたときに悪くないって自分が思えたらそれでいいんじゃないか。

まあだからって寝ぼけながらでも書ければいいってもんじゃないとは思うけどさ。

*1:久々に書いたらがっつり厨二病の発想やないか

*2:それがいいのかどうなのかはわからないけど、少なくとも無理やりひねり出さなくてもいいというのはものすごく気が楽だったりする

*3:「生きている」をテーマに「#愛の礫」を付し発されたツイートが、国際芸術祭「あいち2022」和合亮一さんのブースにある展示モニターに展示されていくというもの