空想少年通信

素人物書きのつれづれブログ。

「顔たち、犬たち」を読んだ

オカワダアキナさんの「顔たち、犬たち」を読んだ。

よく聞けこれはおまえの話。おれの話。どっちでもいい。
ずるい男のずるい話。男性性の呪いについて。

(通販ページの紹介より/ 顔たち、犬たち | ザネリ

妻がいるが男とセックスする男。ゲイともFTMともする。紹介にもあるが、なんせずるい。そのズルさは「お前ばっかいい目にあいやがって」というズルさではなくて、問題をずっと先送りにしてなんの解決もしたくない状態をずるずる続けているようなずるさ。

最初、語源通りの意味でqueerでズルくてほんっと男って存在させたらあかんな、と思いつつ読んでいた。まあでも初っ端の印象は読んでいくとだいたいひっくり返されるから読み進める。家庭からも何からも逃げようとして(たぶん優柔不断とか心的弱さゆえに)逃げられなかった父を見ていて、その父からの父性的愛情の欠落が優人(結婚してる男の名前)の立ち位置の不安定さを招いてる。

で、その立ち位置の不安定さ故にゲイであるムムくんやら、なりゆきでFTMである今くんとセックスするようになる。他の行きずりの男ともしちゃうのは自分が定まってないから(SOGI的にも心的にも)、その定まってない自分のことがわからないから流されかかってるからなのだろう。それか、自分から流れちゃってる。

ものすごくめんどくさいタイプの男だ。

たぶん、素直でかわいいところのあるムムくんや、ちょっと冷めたところのある今くんがうらやましいのだろう。ムムくんはともかく、今くんのその冷めたところはおそらく鎧のようなもので、それがあってようやく今くんが今くんであるのだろう。

優人がそこまで見てるかはわからん。彼らをうらやましいと思っていることを本人が認識してるかどうかもわからん。わかんないならわかんないで立ち止まればいいのに、動くから迷子になるんだ。

この小説、全編をとおして二人称で語られる。二人称だけど、語り手は優人で、だからこれは心理学で言うところの「超自我」と言うやつなのだと思う。俯瞰してるからこその優人のめんどくささが際立つというか。自分もああだったらもうちょっと楽に生きられたかもしれないのにね。

ぶっちゃけていうとなんの解決もしない。むしろ受け入れちゃってるからこの先もこのままなんだろう、という気はする。永遠には続かないだろうけど。

どこかでバランスをとらないと正常を保てないのなら、それは正常ではないのだけど、本人がそれでいいならいいんじゃないの、という気がしなくもない。ずっとなにかから逃げ続けていくか、そのうちあるかもしれない何かとの決着がつくまでは。

たぶんに誤読しやすい性分ゆえ、オカワダさんには「そうじゃないんだよなあ」と言われるかもしれないが。

男の人はこういうの読むの苦手と思うかもしれないけど、ぜひ一読をお勧めする。たぶん、自分の立ち位置のことを考えると思うよ。