11/23はギリギリまでどうするか迷って、のそのそと家を出た。
格好も別に寝起きにシャツを羽織っただけでよかったのだろうが、そのシャツでさえなににしていいのかわからず、結局、煩雑なように見えて逆になにも考えていない格好で出かけた。
新幹線は親子連れがちらほらいて、休みの日のお出かけがこうだったことを思い出させてくれた。
どこを歩いていても、人が多い。コロナ禍前よりは少ないとは思うのだが、体感ではすっかり戻っているようにも思えた。直前に飲んだトリプルエスプレッソラテが思いのほか濃くて気持ちが悪くなってしまった*1。
山手線からモノレールを乗り継いで、東京流通センターへ。文学フリマ東京。15分ほど並んだがこれも思ったよりはもたつかずに中に入れた。何人かの方には挨拶をして、何冊か買った。同じような格好をした人は以前より見かけるようになって、もしかしたら本当に増えてきたのかもしれなかった。
文フリ、今回は人が多かったなあ。体感レベルでは今まで見た中でいちばん多かった気がする。
— 添嶋譲 (@literaryace) 2021年11月23日
マスクとか入場時検温とかあるけど、続けるために必要なことだと思う。
もちろん自己判断で出展見合わせをした方もいらっしゃるでしょう。それも正しい。来た人も正しい。
あの賑やかさは、いくばくかの無念さと、そこにいる人の高揚感と、たぶん執念の結晶だったのではと思った。
— 添嶋譲 (@literaryace) 2021年11月23日
どの人もどうかどうか続けてほしい。あなたの言葉は、あなたのもので、誰も代わることはできない。
(この言葉が早く「なに言ってんだ、こいつ、」ってなりますように)
あっという間に疲れてしまったので*2会場を後にし、移動。座って休みたかったのだが、人が多すぎてどうにも落ち着かなかった。
帰宅してTwitterのスペースを聞く。「そこまで考えないのなら会を開く意味はない」と突きつけられたような気分になる*3。「自分は行かない(参加しない)けど、好きな人に届け」は届かないし「行けたら行く」は来ないという、そういうことなんだろう。難しいけれど。