空想少年通信

素人物書きのつれづれブログ。

展示をたくさん見てきた

東京五美術大学連合卒業・修了制作展(以下、五美大展)」「中平卓馬 火-氾濫」「キース・ヘリング展」を見てきた。キース・ヘリング展は会期が修了間際というので、それが主目的*1

 

美大

武蔵美多摩美日芸、東京造形、女子美の五美大の展示。何年か前に見に行ってて、その時は展示物の多さに圧倒されたんだけど、たしか直近にあった展示の影響受けてるなーとかやたらガーリィだなあとか、そんなこと思いながら見てたんだった。

で、今回。そういうわかりやすいモチーフにしたものとかはなかったけど、そのぶん、スペースのなさから来る見せ方の問題にがっつり挑戦してる感じがして、武蔵美エリアで複数の作品が入り混じって飾ってあって、相乗効果を狙っているのかもしれないと思った。

一部の絵画で上下に飾ってあったんだけど、上のほうにあるのは見づらかったんだよな。スペースの問題だと思うんだけど。なので、本当に見せ方も含めて考えないといけないやつよな。

もう一つ、キャプションのあるなしは作者の選択と思うんだけど、キャプション(?ステートメント?)の書き方はもう少し気を使ってほしい……と思った。

 

中平卓馬

元々編集者だったらしく、森山大道に比べるともうちょっと冷静な感じ。森山大道は猥雑さが良いと思っているのでそこは路線の違いよな。

同じ作品のプリントし直しが、オリジナルと同じレイアウトで飾ってあった。オリジナルから比べて情報量というか解像度が上がって、本来はなにを言いたかったのか、みたいなのを考えるきっかけになっていたように思う。

モノクロ時代、カラーも使って試行錯誤してた時代、倒れて復帰後、みたいな括りになるのだろうか、最後の時期は目線も優しくなっていたような気がする。子どもなんて知らねえみたいな感じだったのが、子どもを子どもとして見てそういう目線で撮っているとか。情報量が整理できたのかなあ。

 

キース・ヘリング

順番としては五美大展→キース・ヘリング中平卓馬という順だったんだけど、物量の多さと、一つの絵から感じる情報量の多さに挟まれて、いい感じに見てこられた。ポップなものはポップに展示してある。

わりと直球のリビドーの塊みたいな時期とか、アートを通して何かに対峙することも含めてsex,drag,rock'n' rollだなーと思ったり。

ユニクロでよく見るあれは、綺麗な上澄みなんだよ。沈澱してるところにはもっと欲望とか、反権力とか、社会に対する問題提起とかいろいろあるんだよな。最後のほう、子ども向けだったりとかそういうのもあるけど。

中平卓馬なんかとも年代が被ってるからかもしれないけど、同じ事象、時代を違う視点、視線で見てるんじゃないかなとあとから思った。

国立近代美術館の収蔵品展も見たからか、とても疲れたので、ほかはどこも行かずに帰宅*2。さすがに一日に4つハシゴはもうきついよ(笑)

と言いつつ、またいろいろ見に行こうと思う。

*1:でも帰ってきてから静岡ででも巡回展あるって知ったんだよなあ。なんだよー

*2:在来線で帰った