空想少年通信

素人物書きのつれづれブログ。

二人で出かけた

家人が用があって出かけるというので、道中といくつかの場所だけ共にした。齢50過ぎにして既に濡れ落ち葉みたいな男、添嶋です。こんにちは。

アーティゾン美術館「DUMB TYPE 2002:remap」を見た。

坂本龍一が参加しているアートプロジェクト。会期中に亡くなって、コメントが掲示してあった。

文字、映像、音声……の複合インスタレーション……なんだけど、坂本龍一が亡くなってちょっと意味合いが変わってしまったかもしれないと思った。イデオロギーを提示したくなかったのでは……と思ったけど、坂本龍一が無言で提示するイデオロギーを具現化する試みみたいになってしまった……ような。頓珍漢なこと言ってるかもしれない。

その後の収蔵品展は美術の副読本だった。とっかかりを与える、見方(の一面)を伝えるというのが主目的なのだろう。

銀座のデパートで片貝木綿の反物を見かけた。ずっとネットでいいなーと思って見てるやつがあって、グレンチェックに薄青いラインと黄色がかったベージュ、実際に見ると見えかたが違って、黄色っぽいほうが良さそうということがわかる。ううん、ただでさえ迷っているのに余計に迷うじゃないか……。

浅草。家人と二人だけで歩くのは実は初めてで、参拝して、舟和カフェ、古着屋というコース。すごく新鮮だった。*1

それぞれがそれぞれ好きなことをしているけれど*2、二人して和装して浅草歩いて、なんて楽しいじゃないか。途中、雷門でだれか撮ってくれないかなと人を探す親子の写真を撮った(そして撮ってもらった)。昔は「撮りましょうか」とよく声をかけたものだが、今の時代、体を寄せ合って自撮りするということ自体が思い出なんだろう、そしてその光景は微笑ましい、ということに気づき、あまりそういうことをしてこなかった。その時は「誰かに」と言っているのが聞こえたので、そうしたのだった。

合羽橋を流し、疲れたしお腹も空いたので焼きそばともんじゃを食べ、まあ新婚はこういうコースはたどらないねという話をし、またそれぞれの用のために一旦解散。

で、自分はマティス展。

フォーヴィズム*3とは初めて聞いたのだけど、キュビズムのように計算して描かれたというよりは「省略の美」「そこに至る過程」みたいなものかしらと思った。時代に沿って紹介しているので、写実的なもの(それでもだいぶ感覚的だけど)と、フォーヴィズムばりばりのものを行き来している感じが面白かった。

まあそんな感じの休日。着姿の写真は省略。

暑くなりそうだったから、麻の襦袢と木綿の単衣にした。なんの捻りもない、半衿からなにから素のままの組み合わせ。寒暖差があって、夜は汗がひいてちょっと寒かった。薄羽織もう一枚ほしい気もするが、コーディネートが難しすぎてなあ。

絶対的色彩感覚というか、こういう時に図工の成績2というのは本当によろしくないというか(笑)、センスの良し悪しって先天的なものなんだろう……と思ってしまうのだった。プラス気力と。

*1:何度か書いているか、書いたことがないか覚えがないが、うちは結婚したときからもう子どももいる生活だったので、二人だけの生活というのが初めてなのだった。

*2:往々にして男の方が好き放題というのはよくある話とは言え。イベントに出まくる旦那ってどうなんだろうね。しかも手伝いさせたりとかひどいもんだ

*3:ものの資料によると、キュビズムは理知的、フォーヴィズムは感覚を重視しているもの、とある